2011/08/04

ブログのおわり


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帰国して約2ヶ月、友人・知人と再会したり、読書したり、ブログのまとめ記事を書いたりして、すっかり旅の疲れは癒えました。

挫けずに旅が終えられたのは日本からの励ましと、旅仲間とのエンターテイメントのお陰です。
ありがとうございました。

もはやライフワークの様にブログを作成してきましたが、これで最後かと思うと結構寂しいものです。
ブログ開設当初は記事やコンテンツが貧弱で、どのように書けば面白いか試行錯誤でしたが、だんだんと軌道にのり最終的には262件の投稿となりました。
このブログのアクセス数などは「旅の統計」でまとめました。

旅のルートのアドバイスや旅情報の提供はいつでもOKです。
もちろん執筆依頼!?的なのもWelcomeです。
ご連絡ください。
weblog.taka@gmail.com

こんな感じで「旅ブログ」終わりです。
ご愛読ありがとうございました。

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「旅ブログ」のコンテンツ

ブログ記事

はじめに…出発にあたってのご挨拶。
旅行中の記事…右サイドのラベルで地域・国別にまとめています。
緊急…旅中の不慮の事故などの投稿です。
帰国…666日間の旅を終えた時の投稿です。
まとめ…帰国後に国・地域別にこの旅の様子をまとめました。
おわり…このページです。

特設ページ(ブログ上部にあるタブ)

旅のルート…この旅のルートを「Google Map」を利用して示しています。
旅の統計…費用・移動距離・滞在日数・ブログのアクセス数をまとめました。
旅の知識…準備(持ち物など)・旅中で得たノウハウをまとめました。
旅のランキング…よかった国、美味かった飯などのランキングです。
世界遺産リスト…訪れた世界遺産をランク付けして感想を書きました。

写真
右サイドに地域別にアップしています。(全4543枚)

2011/07/30

まとめ -オセアニア篇-

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この旅、最後の地域であるオセアニアは19日間で2ヶ国を訪れました。
ニューヨークからシドニーに飛び、パプアニューギニアを経由して日本に帰国しました。


より大きな地図で オセアニア を表示

当初はオセアニアは予定になかったのですが、せっかくなので太平洋の島を訪れてみようと思い、その中でもあまり旅行者が行きそうにもないパプアニューギニアを目指しました。

オーストラリアは10年前にも行ったことがあり、あまり期待していませんでした。
シドニーで驚いたことは、東洋人がかなり増えていることでした。
また、物価も10年前よりも上がっていて、バジェット旅行には辛いところです。
ワーキングホリデーの日本人によく会ったので、私もビザを取っておけばよかったかなー、と思いました。


シドニーではチャイナ、コリアンが幅を利かせていて、日本人はもやはマイノリティーなのかな?もはや普通の先進国は心の琴線にまったく触れないので、あんまり刺激的ではなかった。


この旅、最後の国はパプアニューギニアです。
空港を降りると、色の黒い髪がチリチリの人がたくさん屯っており、ここはアフリカか?という感じで、久しぶりに懐かしい感じがしました。
情報が少ない上に治安が悪いということで、最後の気合で乗り越えた感じです。
自然が豊かで海も綺麗、民族的な雰囲気もあって面白いのですが、ツアー以外で訪れるのは少し大変かもしれません。


パプアニューギニアの子供たち。触るとチリチリの髪が気持ち良いっす。


オセアニアは他にも、ニュージーランドやタヒチなどの島々がたくさんあるのですが、もはやお金も底を尽き、同時に旅自体にも満腹状態になっていたので、2年ぶりの日本を目指しました。
こんな感じで無事に日本に帰国しました。

次回でブログ最終回です。

2011/07/26

まとめ -北アメリカ篇-

旅のランキング」のページを作ってみました。

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北アメリカは81日間で11ヶ国を訪れました。
ここでいう北アメリカとは、いわゆる北中米とカリブ海の国々です。
コロンビアのカルタヘナからパナマのパナマ・シティに飛び、ひたすら北上、アメリカを横断してニューヨークからシドニーに飛びました。


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南米の旅が終わったといえども、まだラテンアメリカにいるのでスペイン語にコロニアル・スタイルと大きな変化はありませんでした。
パナマではパナマ運河、コスタリカでは野鳥とさっさと観光して移動してしまいました。
効率よく旅行している旅人はコロンビア~ホンジュラス当たりは飛ばして、一気にメキシコに行く人が多かったように思います。
せっかくなんで、中米7ヶ国も訪れることにしました。


羽ばたきが「ブーン」と音が出る程激しすぎるハチドリ。ピタっと静止したり、上下左右縦横無尽に翔べるテクニシャン。色がトロピカルでキレイっすね。


ニカラグアエルサルバドルホンジュラスは治安が悪く、そんなに見所もないとうことでこちらもさっさと通過してしまいました。
実際にパナマやコスタリカと比べると発展具合は劣っていましたが、一般の人達は観光客ズレしておらず、なかなか親切でよい印象でした。


ニカラグアのレオンで会った、異様にテンションの高かったおっさん。日本人とわかると「上を向いて歩こう」を熱唱してくれた。


中米7ヶ国では一番人気のグアテマラです。
人や街はのんびりしており、遺跡や民族マーケットなど見所も多く、スペイン語学校に通う旅行者もよく見かけました。
私も旅のルートが逆(南下)だったら、スペイン語を少し習得して行きたいところでした。


ティカル遺跡Ⅳ号神殿の上で、「ア゛~」と発声をしていた謎の集団。いまだにこういうのいるんだな。


中米7ヶ国最後の国はベリーズです。
ベリーズに入る前夜、国境で東日本大震災が起こりました。
ここは唯一、イギリスの植民地だった国で他国とは少し雰囲気が異なります。
英語が通じるし、黒人が多かったです。
見所は、カリブ海の珊瑚礁、世界遺産のキー・カーカーくらいでしょう。


キー・カーカーでシュノーケリングした。カリブ海はやっぱ世界一キレイかも。


お次も人気のメキシコ
ここはトルコ並によい国でオススメできます。
南部は民族系が見られるし、ティオティワカンなどのマヤ系遺跡、カンクンのビーチ、タコスを始めとした美味い飯などなど揃っており、居心地もなかなかいいです。


街を歩けばマリアッチに当たる。北部の街は特に多いっすよ。メキシコいいわー。


メキシコのカンクンからキューバを訪れました。
現役の社会主義国家です。
街は未だにクラシックカーが走っているし、街には商店が少ないし、やはり他国とは雰囲気が異なります。
社会の制度が全面に出ていて、安食堂にありつけないとか、欲しい物が手に入らないとか、少し旅がしづらい面がありました。


キューバといえば、チェ・ゲバラとクラシックカーっすね。


メキシコから、世界一の国アメリカに入りました。
いろんな意味で世界をリードするアメリカには、かなりの興味がありました。
確かに、どの国よりも発展していて金かけてるなー、といった感想です。
ロサンゼルスからニューヨークまでバスで横断しました。
基本的に車社会なので、なかなか行きたいところに行けない不自由さがありましたが、途中カナダを経由しながらグランド・キャニオン、ラスベガス、ナイアガラの滝など、ざっと見所を回りました。
途中、ミシガン州アナーバーに住んでいる学生時代の友人の家を訪ねて世話になりまくりましたが、やはり、車社会に最適化されている、居住スペースが広いなどなど、アメリカの生活水準は日本のそれよりも高いとのことでした。


エンパイアステートビルからの夜景。アメリカには「節電」とか「エコ」なんて言葉ないのかも…と思わせるくらいの強気な国だわ。トイレに行けば、必ず手拭き用の紙タオルあるしね。


中米はリーズナブルでそこそこ見所が多く、おすすめできると思います。
特にメキシコ、グアテマラ、キューバはかなり楽しめると思います。
アメリカは何をするにも日本並の予算が必要でバジェット旅行者には辛いところでした。
逆に言うと、エンターテイメント・自然・アートなど何でも揃っているので、目的を持った上で予算を確保していけば、楽しめる国だと思います。

ここまで来てトラブルに遭遇しました。
メキシコでスキミングの被害に遭いました。
カードは常に貴重品袋に入れて懐にしまっておいたので、手口はATMから口座情報を抜き取られたとしか考えられません。
すぐに銀行に電話をしてカードを止めてもらい、警察に被害届を出しました。
銀行の調査の結果、どうやらグアテマラでスキミング被害が多いのでそこで口座情報抜き取られたということと、私が行ったことのない街で現金が引き出されていた、ということでした。
帰国後、必要な事務手続きを経て、被害額は保障してもらうことができました。
今や海外でのATMの利用は当たり前になっているので、スキミング被害を100%避けることは難しいと思いますが、被害を拡大させないためにも、ネットバンキングでこまめに出入金をチェックし、暗証番号を変更するなどの対策は必要です。

ここまで来ると、旅も終盤といった心持ちになってきました。
北中米もいい見所はたくさんあるのですが、「どこかで見たことがある景色だな」とか「移動の繰り返しも飽きてきたな」など、旅自体が日常になっているので、新鮮さや感動が薄れて飽和してきた感が否めませんでした。
逆回りの旅だったら、また違った印象だったかもしれません。

お次は最後、オセアニア篇です。

2011/07/17

まとめ -南アメリカ篇-

2年ぶりに日本の美容室で髪を切りました。
ご近所の美容室でしたが、手際の良さやスキルは流石で、やはり安心感が違います。
基本的に自分で切っていましたが、パキスタンではおばちゃんパーマになってしまい、イランで切ってもらったときは梳いたりしないのでまんまの角刈りになり、ボリビアで染めたときは明るくなり過ぎたりと、最初から期待値を下げておく必要がありましたが、日本では大外しすることはないので適当にお任せできてしまいます。

この旅の持ち物やビザ情報などなどを「旅の知識」にまとめました。

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この旅のスタンプが詰まっているパスポート。腹巻に入れていたので2年分の汗を吸っているだろう。こいつそんじょそこらのパスポートじゃないぜ。


見よこの分厚さ!増補40ページ+ICチップ+ビザでこんな厚みになってしまった。


結局、標準ページ分の50ページは使い果たし、増補ページの9ページまでいった。これでも、ちゃんと詰めてスタンプ押してもらったんすよ。いちいち言わないと入国管理官は適当なページに押すからね。

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南アメリカは114日間、8ヶ国を訪れました。
南アフリカのケープタウンからブエノスアイレスに飛び、大陸を時計回りに約3/4周してコロンビアからパナマに飛びました。



より大きな地図で 南アメリカ を表示

南米は旅行者からの評判がすこぶる良く、見所もたくさんあると聞いていたので、楽しみにしていました。

アフリカから来ると、アルゼンチンはかなり都会でモノもサービスもよくて快適でした。
ブエノスアイレスから一先ず、大陸最南端を目指し南下していきました。
その後、チリとアルゼンチンを行ったり来たりしながら、北上しました。
バスはデラックスだし牛肉・ワインが安いし、旅がしやすいです。
最南端の都市ウシュアイア、ペリトモレノ氷河、イグアスの滝などなど見所満載でした。


アルゼンチン・タンゴ!他の南米諸国と違って、アルゼンチンは白人が多い。


チリはそれほど見所が多くなく、ウシュアイアから北上するついでに立ち寄った程度でした。
心残りは有名なフィッツロイのトレッキングをパスしたことくらいです。
発展具合はアルゼンチンと同じくらいです。
一番印象に残っているのは、イースター島です。
1週間のんびりしたのもありますが、あのモアイ、ポリネシアンな雰囲気、海鮮がよかったです。


イースター島は日本人に大人気!サーフィンもできるぞ。


パラグアイではイグアス市にある日本人移住地区を訪れました。
自国の移民に触れるよい機会になりました。
おまけに、美味い日本食にもありつけました。


移住地区では日本の文化も育まれているぞ。久しぶりに日本に帰ってきた感じを味わったぜ。


南米最貧国、ボリビアに入りました。
高地にあるので空気がかなり薄く、世界最高所の都市ポトシでは1日ダウンしました。
ここは、先住民族のインディヘナの文化が濃く残っており、南米に来たなー、といった感じでした。
見所も多く、ウユニ塩湖やポトシの鉱山、チチカカ湖を訪れました。


最初見たときはショッキングだったわー。だって、おばちゃんでも三つ編みにフリフリスカートだぜっ。


チチカカ湖を経由してペルーに入りました。
ここも見所盛り沢山です。
ナスカの地上絵、クスコ旧市街地、マチュピチュ遺跡等を訪れました。
ボリビアより発展しているし、物価も小慣れているので旅はし易かったです。


マチュピチュは間違いなくSランクだ。ワイナポトシにも登ったよ。

ペルーから北上してエクアドルに入りました。
せっかく南米に来ているということで、アマゾンツアーに参加しました。
南米の西側の都市はほとんどアンデス山系にあるので冷涼で空気が薄いのですが、久しぶりに気温と湿度の高いジャングルを味わいました。


サソリ!ジャングルはなかなか怖いっすよ。


コロンビアは麻薬関連で少し治安が悪い感じがしました。
これといって目ぼしいアクティビティはありませんでしたが、カルタヘナの旧市街地はなかなか良かったです。


バスで一緒になったおっちゃん。ハットとポンチョがイカしてるぜ。

南米最後のアクティビティ、エンジェル・フォールズを訪れるべく、ベネズエラに来ました。
エンジェル・フォールズのあるカナイマ国立公園は素晴らしい自然で、わざわざここまで来て良かったなと思えましたが、首都カラカスの治安は南米一悪く居心地のよい所ではありませんでした。
再度、コロンビアに戻りカルタヘナからパナマへ飛び、南米の旅は終わりました。


エンジェル・フォールズ!南米って自然の見所が多いねー。こりゃ人気あるのも頷けるわ。


色々迷ったのですが、結局ブラジル、ウルグアイ、ギアナ3国(ガイアナ、スリナム、仏領ギニア)には訪れませんでした。
アフリカに比べるとバス・道路の質は格段に上がりファシリティは問題ないのですが、如何せん広大な南米大陸を1周するには半年は必要で、特にブラジルは物価が高いのでそれなりの予算を確保しなければならなかったからです。
世界一周に拘らければ、1年かけて隅々まで回るのもよいと思います。
とはいえ、充実した旅生活が送れたので満足です。
イースター島は当初は予定にありませんでしたが、リマ-イースター島が就航するということで、かなりお安くチケットを手に入れることができたので、訪れることにしました。

南米はスリやケチャップ強盗などの軽犯罪が多いと聞いていましたが、幸い無事に済みました。
唯一、チリのプエルト・モンの食堂で食べたクラントという名物料理に当たり、(多分)腸炎ビブリオを発病し熱と全身の痒みに煩わされました。

自然の見どころは多くて満足したのですが、何処に行ってもスペインのコロニアルスタイルで、程度の差はあれ街の造りや旧市街地は大体似ているので、結構飽きてしまいました。
国ごとの文化や言語の変化はやはり歴史のあるアジアが優っていると思います。

お次は、北アメリカ篇です。

2011/07/05

まとめ -アフリカ篇-

相変わらずのんびりしていますが、ぼちぼち就活しないとな、と思っているこの頃です。

この旅での移動距離を算出してみました。
移動事情も含め、「旅の統計」にまとめました。

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この旅で余ったコインが大量。せっかくなんで、磨いて整理してみた。


一部紹介。こいつはエジプトの1エジプト・ポンド。ツタンカーメンが描かれていて、エジプトらしいコイン。


お次は、キューバの3キューバ・ペソ。紙幣同様チェ・ゲバラが描かれている。ハバナでは土産として道で売られていて、流通量は少ないみたい。地方の街に行って、売店のおっちゃんに尋ねてみると手に入りやすいかも。


おなじみ自由の女神。1USドルのコインすよ。紙幣が一般的だが、最近になってコインも造られるようになったらしい。

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アフリカは95日間でエジプトから南アフリカまで縦断し、8ヶ国を訪れました。
ヨルダンのアカバからフェリーでエジプトのヌエバアへ入り、南アフリカのケープタウンまで行きました。



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エジプトはこのアフリカの旅の中で最も見所が多かったと思います。
ダハブではダイビングのライセンスを取得しました。
紅海の美しいリーフを堪能できるだけでなく、オープン・ウォーターからアドバンス・ライセンスまで400ドル程度で取得することができ、欧米人を含め日本人も多く滞在していました。
その他、ピラミッド、砂漠ツアー、アブシンベル神殿などなど盛り沢山でした。
しかし、これまで訪れたイスラム諸国の中で、人が一番ウザイと感じました。


エジプト文明の遺跡も盛りだくさん。しかし、暑かったわー。


ナイル川をポンコツフェリーで上り、スーダンに入りました。
ちょうどラマダンの期間に当たってしまい、酷暑の中昼間はロクに飯にありつけませんでした。
見所がほとんどない、当時スーダン南部で独立運動をしていたため治安が悪いってことで、さっさと通過してしまいました。


ラマダンは日没まで。陽が沈むとみんな一斉にお祈りを始めて、その後食事を頂くのだ。移動中でもバスを降りてやり始めるから、参っちゃうよな…


エチオピアからいよいよブラック・アフリカ突入です。
エチオピアはこの旅の中でも最貧国の一つと言えるでしょう。
エチオピア正教というアフリカで珍しいキリスト教国であり、南部はユニークな民族が多く住んでいてアフリカでも異色の存在ですが、人の腐り度はダントツかもしれません。


ドルゼ族のガキンチョ。エチオピアに入って高原の過ごしやすい気候になったが、飯マズイ、汚い、人がウザイとこの旅で一番辛かったかも。


ケニアに入って随分生活レベルが向上しました。
一番の見所はやはりサファリです。
マサイ・マラ国立公園に行きましたが、野生動物のカッコよさには感動しました。


ガルルル…。ヒョウに大接近。


タンザニアではザンジバル島で誕生日を迎え、ビーチリゾートでアフリカ前半の疲れを癒しました。
タンザニアはキリマンジャロ山のトレッキングやンゴロンゴロ国立公園のサファリなど、アクティビティは盛りだくさんですが、予算の関係上パスしてしまったのがちょっと残念です。


ザンジバル島のビーチ。なかなかええとこやったわー。アラブ人による奴隷貿易で栄えた世界遺産の街もあるし、オススメっすよ。


タンザン鉄道でザンビアに入りました。
ザンビアの見所は三大瀑布の一つビクトリア・フォールズですが、乾季だったため迫力はイマイチでした。
その代わりに、バンジージャンプをやってやりました。
この辺りから、南アフリカの影響からか少しずつ物価も高くなり、旅の環境もよくなってきました。


ビクトリアの滝。雨季だったら今立っている場所からも豪快に水が落ちていたんだろうに。残念だねぇ。


ナミビアでは首絞め強盗未遂事件に遭遇しました。
日中だったのでチラホラ人通りがあったので、幸い何も盗られず、怪我もせずに済みましたが、この旅で初の事件だったので肝を冷やしました。
ナミブ砂漠、エトシャ国立公園などをレンタカーで回り、自然を堪能することができました。
同行したドイツ人との確執にはイライラさせられました。
詳しくは「ナミビア道中膝栗毛」でどうぞ。


赤い砂のナミブ砂漠。世界最古の砂漠らしいっすよ。朝、車がスタックして無駄に時間を浪費してしまったり、無灯火運転で警察に捕まったり、苦労は多かったな。


アフリカ最後は南アフリカです。
ケープタウンとハマナスしか訪れていませんが、ここは白人社会なので随分と発展していました。


アフリカ最南端のアグラス岬。これにてアフリカ縦断は終わりっす。


アフリカはほぼ主要な見所を回りつつ、最短ルートで縦断しました。
東アフリカではウガンダやルワンダ、ソマリアなど、南部アフリカではモザンビークやマラウイ、ボツワナなども訪れることができますが、治安が悪かったり、そんなに面白いかな?と思ってしまったりして、あまり細かくは回りませんでした。

アフリカ全体で言うと、北アフリカの大半(チュニジア、モロッコ等)、中部アフリカ(コンゴ、アンゴラ等)、西アフリカ(ガーナ、カメルーン等)など、訪れていない国はたくさんありますが、予算、期間、治安面からこの旅では除くことにしました。

当初はアフリカは情報が少なく危険・貧困というイメージと、これまで黒人との交流がなかったため、相当の覚悟をしていましたが、アジア・ヨーロッパと回って旅して1年が過ぎており、多少旅慣れもしていたので、意外とスムーズに縦断できたという感想です。
また、南京虫には相当やられましたが、マラリアや西ナイル熱などの伝染病に罹ることなく、アフリカの旅を終えられました。

上記の理由からかアフリカを敬遠する旅行者がいますが、ケニア・タンザニアのサファリはオススメです。

お次は南アメリカ篇です。

2011/06/27

まとめ -ヨーロッパ篇-

相変わらず、昼頃起きてくっちゃくっちゃね、ニート暮らしを満喫してしまっています。

とはいえ、写真を現像してみたり、フォトブックなんていう大壮なものを作ってみたり、唯一のこの旅でコレクションしていた紙幣を整理したりと、チマチマと旅の余韻を楽しんでいます。

帰国して1ヶ月が経ち、日本の生活にも慣れてきたので、あとは就活に向けて徐々にエンジンを吹かしていきたいところです。

ブログ上方のタブにある「旅の統計」でこの旅の支出をまとめてみました。
気になる方は覗いてみてください。
ちなみに「旅のルート」と「世界遺産リスト」はオセアニアの分も追加しており完成しています。

あ、これまで住所不定でしたが住民票を2年ぶりに入れてみました。
来年の1月まで住民税はかかりません。

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フォトブックって流行っているのかな?こいつを作成するのが結構大変だった。ページ数から載せる写真の枚数を計算し、選別して1ページずつ配置していく。配置した写真にラベルを付けていって表紙を決めて完成。完成品が送られてきて見てみると…なかなかいいじゃないすか。立派な作りをしているので、写真もよりよく見える。飲み会とかに持って行って披露させていただきやす。


行った国の紙幣はいくつか取っておいた。はずなのに、ラオス・キップとミャンマー・チャットがなかった!おかしいなー。誰か持っている人、寄付してん。(←と思ったら、見つかった。)


ちょっとだけ紹介しよう。こいつはキューバ・ペソ。3ペソという珍しい単位だが、それよりもゲバラの肖像がかっちょいい。


国境で手に入れたジンバブエ・ドル。スーパーインフレーションで100,000,000,000,000、弩級の紙幣が作られてしまったダメ国家。いまや紙屑同然で土産物として2ドルでたたき売りしている。ヴィクトリアの滝周辺でウロウロしている兄ちゃんから買った。


こいつはイラク・ディナール。イラクには行ってないけど、トルコのバザールで土産物として売っていた。今の紙幣からはサダム・フセインの肖像は消えているよ。紙幣もファイルして整理したので、飲み会なんかに持って行きやす。


ラーメン二郎。久しぶりに食ったわー。野菜増しなんて言ってないのに、モリモリできがやがった…。最初は不安だっだが悪戦苦闘しつつも完食。このあとしばらく動けなかったのは言うまでもない。

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ヨーロッパは29ヶ国を84日間と短い日数で国の数を稼ぎました。
イスタンブールからブルガリアに入り、ゴチャゴチャ回って最後はギリシャからトルコに戻ってきました。


より大きな地図で ヨーロッパ を表示


まずは東欧を攻めて行きました。
ブルガリアルーマニアモルドバウクライナポーランドとバスと列車を使って旧共産圏を訪れました。
この辺りはヨーロッパといえども、西ヨーロッパほど裕福ではなくアカ臭い建物、しょうがないから売ってやってんだよ的な素っ気ない売店のおばちゃんなどなど、少し貧乏臭い感じです(ただしポーランドを除く)。
とはいえ、野暮な分気さくなおっちゃんも多いので地元民とのコミュニケーションも楽しめます。


ういーっす。モルドバのマーケットの肉屋のおっちゃん。モルドバなんて滅多に行かないよね…


その後、バルト3国(リトアニアラトビアエストアニア)とロシアを訪れました。
ここで、この旅最大の事件が発生しました。
エストニアの首都タリンでノートパソコンが盗まれました。
偶然同じドミトリーにいた日本人とリビングで飲んでいて、ちょっと買い物に行こうとしてノートパソコンをテーブルの上に置いておいたら…ほんの15分くらいの間になくなっていました。
宿中の部屋を探し、宿泊客の荷物をひっぺがしたのですが、見つからず…
アジアの大半の写真とデータを失うことになりました。


タリンの美しき街並み。私のノートパソコンはいずこへ?やれやれトホホ…


失意の中、タリンから船でヘルシンキに入りました。
北欧からぐっと物価が上がり、生活水準も高くなりました。
ここから、予てから用意していてユーレイルパスを使いました。
ユーレイルパスはヨーロッパの鉄道が乗り放題になります。
移動費もかなり高くなるので、北・西ヨーロッパで使うと少しお得になります。
フィンランドスウェーデンノルウェーデンマークを回りました。


サンタさん。盗まれたノートパソコンをプレゼントして欲しいとお願いしたが、結局願いは叶わず。


その後、フランススイスイタリアスペインポルトガルを超特急で回りました。
この辺りは見所満載、観光客も多いです。


ロカ岬と大西洋。とうとう、ユーラシア大陸最西端まで来たぜい。

マドリードからローコストキャリアの飛行機を使ってドイツまで飛びました。
日本から親類が遊びに来たからです。
チェコオーストリアハンガリーを回るJTBのツアーに参加したので移動も宿泊も楽チンでした。
ツアー客はマダムが多く、私のようなバックパッカーが珍しい、というかむしろ感心していました。


調子に乗って、ウィーンでコンサートとか見に行っちゃった。それにしても、同じツアーのマダム達の土産の買いっぷりが凄かったな。


こんな感じで中欧を訪れたので、ここからルートが少しおかしくなりましたが、ハンガリーからアイルランドに飛ぶことにしました。
ダブリンから船でイギリスに入り、その後はベルギーオランダ、ドイツと取りこぼした西ヨーロッパを回りました。


ブリュッセルの小便小僧…じゃなくて小便少女。この微妙な笑みに戸惑ったわ。


ヨーロッパ最後は旧ユーゴスラビアの国々です。
スロベニアクロアチアマケドニアギリシャとバルカン半島を縦断し、エーゲ海の島々を渡ってトルコに戻ってきました。


サントリーニ島の夕日。きれいじゃったのう。


ヨーロッパは物価が高いので、1ヶ国1~2都市、1都市1~2泊、と忙しい旅となりました。
また、節約のためファストフードかホステルで自炊をしていたので、ヨーロッパの美味いモノにはあまりありつけませんでした。
アジアではこちらが望まなくても、なんかしらの小事件が起こるのですが、ヨーロッパはボッタクリの類があまりなく大体穏やかに旅ができます。
それはそれでいいのですが、3ヶ月近く旅をしていると逆に退屈になってきて、アジアの喧騒が懐かしくなったりしました。

お次は暗黒大陸アフリカ縦断篇です。

2011/06/17

まとめ -アジア篇-

帰国してからというもの、予想通り家でひたすらダラダラ沈殿しております。

ぼちぼち、ブログのクローズに向けてまとめていかなければと思っています。
というこで、とりあえず地域別に旅のルートの成り行き・感想などなどを述べていこうと思います。

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アジアは22カ国、273日間と地域別ではもっとも多くの日数を割きました。
韓国へ船で渡りイスタンブールを目指して極力陸路と海路で移動しました。


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韓国は飯も美味いし、交通機関もまったく問題ないのでイージーです。
中国はあまり英語が通じないのと、人民のマナーがまったくもっていけてないので少々疲れましたが、ユースホステル・鉄道が整備されているので、難しいことはありません。
中国はインターネットの規制が厳しく、facebookなどが見れません。
このブログも例外ではなく、旅が始まったばかりにもかかわらず、1ヶ月程更新ができなくなりました。
以後ブログの運用は、写真をアップしたり文章を考えたりする必要もあるということで、リアルタイムに更新していくのは結構難しく、過去日に投稿することにしました。
これにより、行った場所と行った日が一致するので、後から見やすく整合がとれるようになりました。


北京の屋台。サソリは食えんよ…


中国からの選択肢は3つあり、それぞれ雲南から東南アジアへ抜けるルート、チベットからネパールへ抜けるルート、ウイグルから中央アジアへ抜けるルートがあります。
どのルートも魅力的なのですが、後ろ2つは東南アジアを経由したとしても、西へ向かっていけば訪れることができるので、旅行者天国の東南アジアルートをとることにしました。
ベトナムカンボジアラオスタイミャンマーを回りました。
マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアは一応前に訪れたことがあるので、今回は飛ばしました。


アンコールワット。素晴らしいっす。


東南アジアに入ってからというもの、日本人旅行者は俄然増え始め、現地のセコイ兄ちゃん相手に多少のボッタクリ対応をしなければなりませんが、見所はたくさんあるので楽しめました。


ホーチミンにて。「ほら、みんなオレのガイドいいって書いてくれてるよ~」とノートを差し出すアニキ。日本語で書いてあったけど、こういう輩ってどうも信じられん。


ミャンマーは陸路通過ができないので、飛行機を使ってインドに飛びました。
インド人対応にはホトホト疲れ、この旅の中で1,2位を争うほど嫌いになりましたが、バングラデシュパキスタンの貧しさとムスリムの人の良さに触れ、ネパールでトレッキングの楽しさを知ることができました。
また、ここからトルコまでの国はすべてビザが必要となるため、現地大使館との格闘が始まったわけです。
そして、この辺りから食べ物が不衛生になるため慢性的にお腹が緩くなり、停電やら、ストライキやら、時間通りに運行されない交通機関やらで、ストレスフルな旅となりました。


偽物のサドゥー。写真取らせて小銭をせしめようとしたり、頼んでもいないのいガイドしようとしたり、まったくしょうがない奴だった。


パキスタンからイランへ抜けることもできますが、中央アジアを訪れることにしました。
中央アジアへ行くには、アフガニスタンを通らなければならないので飛行機でウズベキスタンまで飛ぶことにしました。
ここからは旧共産圏ということで、南アジアとは街の雰囲気が変わります。
ウズベキスタンはシルクロード中継地点ということで独特のエキゾチシズムがあります。
トルクメニスタンは独裁国家システムといい加減さにより、旅行自体の勝手が違い、船着場で2泊も船を待つ羽目になりました。


ブハラ。シルクロードな雰囲気。ここ最高っす。


トルクメニスタンの後は、イランに抜ける予定でしたがビザが取れず、カスピ海を渡ってコーカサス3国(アゼルバイジャングルジアアルメニア)を訪れることになりました。
この辺りは民族対立で政情が不安定ですがグルジア正教やアルメニア正教など独自の文化に触れることができます。


ロンギヌスの槍!!ホンモノかいな?


イランは何かときな臭いニュースが多いですが、人もいいし見所も多いし、トルコを除くとこの辺では最も発展しています。


ハマム(銭湯)で汗を流す男達。


イランを回った後、いよいよトルコに入ったわけですが、飯の美味さといいバスの快適さとといい、これまでイマイチな国だったので感動モノでした。
また、ビザリレーから開放されたのも嬉しかったです。


サバサンド屋台。モノもサービスも溢れていてかつ、オスマンでヒストリカルな感じが◎


イスタンブールからヨーロッパに入り、アフリカを目指すべくトルコへ戻り中東(シリアレバノンヨルダンイスラエル)に入りました。
夏場に訪れたのでかつてない暑さでしたが、シリア人の人の良さに驚き、イスラエル人の人の腐り具合にガッカリし、すっかりアラブファンになっていました。
そして、ヨルダンからエジプトに入りアフリカ編が始まりました。


レバノンのバールベック周辺。ヒズボラが作ったと思われる戦車のモニュメント。仲よくやってくれよ…


運良く強盗やスリなどに会わず、大病を患うこともなく、のべ9ヶ月間、無事にアジアの旅を終えることができたのはよかったです。
旅行者の中では「歴史のアジア」と揶揄されますが、変化に富み見所の多いアジアがこの旅で一番面白いと感じました。

日本人旅行も多く、日本人定番宿は1ヶ国に1つはあり情報ノートが設置されているので情報が欲しい時には助かりました。

当初は現地またはインターネットで容易に旅情報を得られると思い、ガイドブックを持って行きませんでした。
ガイドブックを持って行くと、ガイドブック通りの旅になってしまうとか、ガイドブックに載っている所しかいかなくなるとか、いろいろ意見があると思いますが、持っている方が遥かに効率よく見所を逃すことなく旅ができると思います。
韓国と中国はガイドブックなしだったので、バスターミナルを降りた後ここがどこだかわからない、面白い見所を探すのに時間がかかる、など無駄に苦労をしました。

こんな感じで、アジア横断を無事に終了したわけです。
お次はヨーロッパ編っす。